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総鋼鉄製の竪坑櫓は圧巻! 万田坑を訪ねた。

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beluga600st.hatenablog.com

 

三池港から万田坑まではタクシーで10分程度の近さ。とはいえ、その間に福岡県大牟田市から熊本県荒尾市を跨いでいる。熊本に住んでいたころは荒尾って福岡県でしょ?とか思っていたけれど、産交バスが走り、土産物にくまモンが描かれているところを見ると、ここは熊本県に間違いなかった。

 

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  万田炭鉱館でタクシーを降りる。ここでは万田坑のパネルや炭鉱マンが身に着けていた道具類などが展示されていて、展示品の数は多くないものの、入場は無料である。10分ほどで展示は見終わってしまった。ただ、どちらかというと公民館的な使われ方をしているのか、私が訪れたときは地域住民のサークル活動が行われていた。

 

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万田炭鉱館から坂道を降りて、5分ほどで万田坑ステーションに着く。ここでは万田坑見学のチケットが購入できるほか、ビデオや模型、パネルの展示が充実しており、三井三池炭鉱の全体像や当時の炭鉱マンの生活などを知ることができた。

 

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 万田坑ステーションの裏手からは、現在の万田坑の全体を望むことができる。右手の鋼鉄製の櫓とレンガ造りの建物が万田坑のシンボルともいえる第二竪坑櫓、左手手前がボイラー室の煙突の土台、その奥には変電所跡地が見える。

 

万田坑三井三池炭鉱の主力坑のひとつ

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三井三池炭鉱の石炭層は、断面図に見られるように本層、上層、第二上層と3つあったようだが、いずれも層は斜めに走っている。断面図右手が山側、左手が海側である。江戸時代には山側で露頭坑も見られたようだが、さらに掘り進めようとすれば、地下に地下にと掘り進めていかねばならない。

そこで明治時代に開発されたのが宮原坑や万田坑である。これらの坑口では、石炭層に到達(着炭)するまで垂直に坑口を掘り進めるもので、竪坑と呼ばれる。宮原坑は断面図でいうと万田坑よりも山側にあり、深度約140m、明治31年に出炭を開始した。そして万田坑は深度約270m、明治35年に出炭を開始している。

三井三池炭鉱においては山側から海側へと採炭が行われ、石炭層が深くなるに従って、露頭坑から竪坑へ、更にはより高効率で石炭を運び出せる斜坑(三川坑)へと坑口も姿を変えていった。

すなわち、同じ炭鉱を掘り進めていく中で、その時代時代において主力坑は変わっていくものであり、万田坑は明治末期~昭和初期にかけての主力坑であった。

 

万田坑の採炭システム

f:id:beluga600st:20170305222255j:plain万田坑には第一竪坑と第二竪坑がある。第一竪坑は坑内から石炭を運び出すとともに、坑内に空気を送り込む。一方、第二竪坑は人や物資を昇降させるとともに、坑内の空気を吸いだす。

石炭や人を乗せるケージを昇降させるため、坑口には巨大な櫓が組まれ、隣接する巻揚機室にウインチが設置された。また、坑内作業の生命線ともいえる排気と排水を行うための扇風機室やポンプ室などが竪坑付近に設置された。立派な煙突を備えたボイラー室では、ウインチやファン、ポンプの動力源となる蒸気が作られた。(当初は蒸気駆動であったが、後に電動に変わったようだ)

 

万田坑のシンボル 第二竪坑櫓

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 高さ約20mの櫓は明治41年の竣工であり、イギリス製の鋼材が使用されている。巨大な滑車が目を引くが、柱を構成するトラス構造が見事と言わざるを得ない。こんな構造物が明治日本にあったのか… と驚かされた。

なお、今は土台しか残っていない第一竪坑櫓はさらに巨大で、高さ約30mだったという。蛇足ながら、第一竪坑の坑口は今も埋め立てられておらず、地下270mまで穴がぽっかり空いているという。地下50m程度のところまで地下水の水位が上がってきているようだが、ぜひ坑口を覗き込んでみたいものだ。(現在の見学コースには含まれておらず、近づけなかった)

 

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第二竪坑櫓に隣接するレンガ造りの建物。「二坑口」の矢印があるところを見ると、炭鉱マンたちはここを通って坑口に入っていったのだろう。

 

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浴場が覗き込めた。炭鉱マンたちは仕事を終えて地下から上がってくると、真っ黒な作業服のまま最初の浴槽へドブンと入る。そこであらかたの汚れを落とし、作業服を脱いで次の浴槽へ。体まできれいになったところで最後の浴槽へ入り体を温めたという。とても効率的なシステムだな…と感心する。

 

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第二坑口は土砂で埋められている。この坑口がかつては地下270mまで続いており、人や物資を乗せた2台のケージが上下していた。ケージは25人乗り。つるべ式の井戸のように、1台が地上にいるときはもう一台が坑内にいるという仕組みである。270mの高さをわずか1分で昇降したというから、スカイツリーのエレベーターも真っ青である。

土砂で埋められる前は、三井鉱山(現在の日本コークス工業)の社員が定期的に坑口を訪れ、地下水位の測定やガスの測定を行っていたという。

 

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左手の小屋は信号所であり、巻揚機室の運転員や坑内の係員と鐘や電話で連絡を取り合い、ケージの昇降を行っていたという。鐘の音は、270mの地下までよく聞こえたとのこと。

 

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坑口の屋根部分は今でこそぽっかりと穴が空いているが、現役のころはケーブルの貫通部以外はしっかりと閉じられていた。第二竪坑は排気口でもあるため、坑口は気密性を確保する必要があった。(第一竪坑→坑内→第二竪坑→排気扇風機という空気の流れを作るためには、ここが坑内よりも負圧となる必要がある)

 

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石炭を乗せたトロッコも、坑口から二重扉があるトンネルを経て、外に運び出された。

 

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巻揚機室にある巨大な巻揚機はまさに世界遺産、という重厚さを感じさせるものだった。人員昇降用の巻揚機の巻胴は直径3.96m、回転数は21.5rpm。電動機やブレーキ、ギヤ部などで構成されている。ワイヤー径は36mmとかなり太い。

 

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深度計と速度計。監視計器は運転台から見やすい位置に設置されていた。

 

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 こちらは重量物昇降用のウインチで、直径1.82 m、ワイヤー径は45mm。巨大な歯車がハイパワーであることを連想させる。

 

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蒸気駆動のウインチ、ジャック・エンジン。名前もサイズもかわいらしい。

 

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 最後に変電所跡を見学。植物が巻き付いて終末感が漂っている。観光資源として他の施設のように整備されてもいいように思うが(一般の観光客は変電所に興味がないのかもしれない)、個人的にはこの雰囲気を残してほしいと思う。

 

石炭今昔物語。明治日本の産業革命遺産に登録された三池港を訪ねた。

三池港はとても美しい。

福岡県の南端にある大牟田市はかつて炭都として栄えた町であり、三池炭の積み出し港として三井鉱山合資会社の責任者(事務長)であった團琢磨の発案で築港されたのが三池港である。

有明海干満の差が大きく遠浅なため、大型船が入港できる港を作るのは容易ではなかった。このため、水深のある沖合まで長い長い航路が作られており、上空からみた独特な姿はハミングバード(ハチドチ)とも呼ばれる。航路は防波堤(防砂堤と呼んだほうが適切だろうが…)に仕切られており、今なお休むことなく浚渫が続けられている。

こうした努力により、内港地区には2万t級の船舶が入港可能な公共埠頭が設置されているのだ。

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世界遺産に登録される! ~明治日本の産業革命遺産

三池港は大きく船渠地区・内港地区・航路に分けられ、このうち世界遺産に登録されたのは明治時代に築かれた船渠地区である。團琢磨はこの自然条件厳しい三池の地に港を築くにあたり、イギリスに渡り、プリマスの港を模した護岸を構築するとともに閘門設備一式を発注、当時の最新技術を導入して船渠地区を作り上げた。

船渠地区はその名のとおり閘門式の巨大なドックを備え、干潮時には閘門を閉め切り水位を8.5mに保つことにより、当時の1万t級大型石炭運搬船の荷役を可能とした。明治41年の開港以来、大正、昭和、平成と時代が変わっても、閘門は今なお現役で稼働し、船渠地区のバースでは5,000t級程度の貨物船による荷役が行われているという。

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船渠地区(閘門式ドック)

三池港ができるまで、三池炭は大牟田の砂浜から小舟に乗せ、遠く離れた島原半島南端の口之津まで運ばねばならず、大変な労力を要していた。三井三池鉱山を一層発展させるためには大型石炭船が入港できる港が必要不可欠であった。

しかし團琢磨は目先の利益ばかりを考えていたのではない。「石炭山の永久などということはありはせぬ。築港しておけば、いくらか百年の基礎になる」と、石炭産業衰退の可能性すら予期し、それでも港があれば重要インフラとして町の発展に寄与することを認めていた。

閘門建設は、まず入り江と外海を仕切るところから始まった。(下の画像は三池港の案内所でもらった絵葉書)

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閘門は一枚一枚、鋼板を張り合わせて作ったようだ。当時はゴムパッキンなどはなかったので、門の繋ぎ目の部分は腐りにくい輸入木材を使用していたという。閘門の幅は21mほどであり、かなり狭いことが分かる。当時の1万t級石炭運搬船の横幅が18mほどだったそうで、タグボートが曳くとしても、かなり操船は難しかったのではないだろうか…。当時の船に比べ、現代の船は幅広になっているから、現代の1万t級の船は通過できそうにない。

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ここには貯炭場やヤードがあり、岸壁には1万t級の石炭運搬船が3隻着岸できた。そこに巨大な三池式快速石炭船積機が3基設置され、貨車が運んできた石炭を運搬船に積み込んだのである。三池式快速石炭船積機は設計者の團と黒田の名前から、通称ダンクロ・ローダーと呼ばれ地元も人々にも愛されていたようだ。残念ながら平成16年に最後の1基も姿を消してしまったが、残されていれば世界遺産の一部として脚光を浴びたことだろう。

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ダンクロ・ローダーの積み込み能力は5,000t/日程度だったらしいので、1万t級の船舶への積み込みには2日間かかったと思われる。荷役している船舶は積めば積むほど船が沈むので、喫水はどんどん深くなる。ここは干満の差が大きい有明海、2日間岸壁にいれば少なくとも4回は干潮を迎えるのだから、潮位によっては船底が着底してしまうかもしれない。

そこで閘門の登場である。閘門は内開き式であるため、干潮に向けて潮が引き始めると船渠内から海水がでていく力も利用して閘門を閉じる。締め切られた船渠内は水深8.5mに保たれるので、石炭運搬船は安心して荷役を継続できた。潮が満ちてくると海水が閘門を押す力も利用し、再び閘門は開かれる。

この閘門の開閉は現在でも行われている。閉門されるのは低潮位の時だけなので、1日2回、干潮時に1~3時間程度である。私が行った日もそうだったが、潮位の変動があまりない日は、全く閉門しない。

 

閘門の開閉時間は現地にバス停の時刻表のごとく貼り出されている。

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世界遺産にも登録され観光客も多くなったと思われるので、観光客相手に閘門の開閉を見せても良いと思うが、開閉のタイミングは全く潮位次第であり、早朝や深夜もお構いなしである。

しかし、そもそも現役の港であり、閉門中はポートクローズ状態となることを考えると、閉門される時間は極力短くする必要がある。船を可能な限りフル稼働させたい船会社にとって、入出港時間や荷役に制限がある港の利用価値は低いのだ。

 

石炭積み出し港だった三池港は、今では石炭輸入港・・・

三池港を歩いていると真新しい石炭火力発電所が目に入る。東芝傘下のシグマパワー有明発電所だ。船渠地区の北側にあるのが三川発電所、南側にあるのが三池発電所である。親会社の経営危機に際し、三池発電所はファンドに220億円で売却されるとのことである。

 

三川発電所は47,500kWの小型の石炭発電所。木質バイオマスの混焼も行っている。鉄骨がしっかり塗装してあるので非常にきれいだ。ボイラー鉄骨の塗装に金をかけられるのは経営が安定している証拠だ、と個人的に思っている。

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こちらは売却される三池発電所。17.5万kWの石炭火力発電所であり、いわゆる大手電力会社以外の設備としては中規模といえる。

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これらの発電所で利用されるのは、今はなき三池炭などではなく、もちろん海外炭。つまり、かつて国内炭の積み出し港であった三池港は海外炭の輸入港に変貌していたのである。

三井三池炭鉱が閉山し大牟田の活気は確かに失われた。それでも今度は逆に石炭を輸入して火力発電してやろうというのだから、そのしぶとさには感心してしまう。しかしそれも、團琢磨の先見の明があってこそといえよう。

 

ちなみに、三池発電所の隣にはかつて三池炭を燃料としていた九州電力の港発電所が存在していた。電力会社は国策への協力という意味合いから高価な国内炭を一定量購入してきたが、経営効率化を求められる中で、やがて安価な海外炭に切り替えられていった。国内炭用であった港発電所も平成16年に廃止されたが、その跡地は流行りのメガソーラー発電所になっている。三池港の周りを見渡すだけでも、エネルギー政策の変化の一端が垣間見える。

 

ちなみに、三池発電所の燃料はこうしてトラックで運ぶようだ。

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三池港の貯炭場は写真右側の奥にあるが、三池発電所が立地するのは船渠地区を挟んで写真左側。石炭火力発電所で消費される石炭の量は膨大であり、17.5万kWであれば1日の消費量は700~800t程度だろうか。このダンプトラックが何t車かは知らないが、仮に10t車だとすれば貯炭場と発電所を1日に70~80往復することになる。小舟で口之津まで石炭を運んでいたころのエピソードを彷彿とさせる。ベルトコンベアを設置すればいいのに…とも思うが、もしかしたら地域の雇用も考えてこのスタイルなのかもしれない。

 

三池港の魅力はまだまだあるよ

世界遺産に登録されたおかげで、三池港には低いながらも展望所が設けられ、平日にも関わらずガイドさんもいらっしゃった。今なら絵葉書ももらえるし、案内所でビデオも見せてもらえる。

展望台からは閘門と、そこから一直線に伸びる航路が見渡せる。沖合には潮待ちしている大型船が見えるが、狭い航路と内港をあのような大型船が航行する姿をぜひ見てみたかった。

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それから、台風シーズンにもこの三池港には注目である。普段は有明海を行き来しているフェリーが台風が来るとこの船渠に一斉に避難してくる。フェリーが閘門をギリギリで通過し、狭い船渠内にところせましと並ぶ姿は、きっと圧巻だろう。

 

魅力いっぱいの三池港。今度はぜひ閘門が開閉するところを見にきたいと思う。