読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

総鋼鉄製の竪坑櫓は圧巻! 万田坑を訪ねた。

前回の記事

beluga600st.hatenablog.com

 

三池港から万田坑まではタクシーで10分程度の近さ。とはいえ、その間に福岡県大牟田市から熊本県荒尾市を跨いでいる。熊本に住んでいたころは荒尾って福岡県でしょ?とか思っていたけれど、産交バスが走り、土産物にくまモンが描かれているところを見ると、ここは熊本県に間違いなかった。

 

f:id:beluga600st:20170305203851j:plain

  万田炭鉱館でタクシーを降りる。ここでは万田坑のパネルや炭鉱マンが身に着けていた道具類などが展示されていて、展示品の数は多くないものの、入場は無料である。10分ほどで展示は見終わってしまった。ただ、どちらかというと公民館的な使われ方をしているのか、私が訪れたときは地域住民のサークル活動が行われていた。

 

f:id:beluga600st:20170305203947j:plain

万田炭鉱館から坂道を降りて、5分ほどで万田坑ステーションに着く。ここでは万田坑見学のチケットが購入できるほか、ビデオや模型、パネルの展示が充実しており、三井三池炭鉱の全体像や当時の炭鉱マンの生活などを知ることができた。

 

f:id:beluga600st:20170305204038j:plain

 万田坑ステーションの裏手からは、現在の万田坑の全体を望むことができる。右手の鋼鉄製の櫓とレンガ造りの建物が万田坑のシンボルともいえる第二竪坑櫓、左手手前がボイラー室の煙突の土台、その奥には変電所跡地が見える。

 

万田坑三井三池炭鉱の主力坑のひとつ

f:id:beluga600st:20170305222248j:plain

三井三池炭鉱の石炭層は、断面図に見られるように本層、上層、第二上層と3つあったようだが、いずれも層は斜めに走っている。断面図右手が山側、左手が海側である。江戸時代には山側で露頭坑も見られたようだが、さらに掘り進めようとすれば、地下に地下にと掘り進めていかねばならない。

そこで明治時代に開発されたのが宮原坑や万田坑である。これらの坑口では、石炭層に到達(着炭)するまで垂直に坑口を掘り進めるもので、竪坑と呼ばれる。宮原坑は断面図でいうと万田坑よりも山側にあり、深度約140m、明治31年に出炭を開始した。そして万田坑は深度約270m、明治35年に出炭を開始している。

三井三池炭鉱においては山側から海側へと採炭が行われ、石炭層が深くなるに従って、露頭坑から竪坑へ、更にはより高効率で石炭を運び出せる斜坑(三川坑)へと坑口も姿を変えていった。

すなわち、同じ炭鉱を掘り進めていく中で、その時代時代において主力坑は変わっていくものであり、万田坑は明治末期~昭和初期にかけての主力坑であった。

 

万田坑の採炭システム

f:id:beluga600st:20170305222255j:plain万田坑には第一竪坑と第二竪坑がある。第一竪坑は坑内から石炭を運び出すとともに、坑内に空気を送り込む。一方、第二竪坑は人や物資を昇降させるとともに、坑内の空気を吸いだす。

石炭や人を乗せるケージを昇降させるため、坑口には巨大な櫓が組まれ、隣接する巻揚機室にウインチが設置された。また、坑内作業の生命線ともいえる排気と排水を行うための扇風機室やポンプ室などが竪坑付近に設置された。立派な煙突を備えたボイラー室では、ウインチやファン、ポンプの動力源となる蒸気が作られた。(当初は蒸気駆動であったが、後に電動に変わったようだ)

 

万田坑のシンボル 第二竪坑櫓

f:id:beluga600st:20170305204137j:plain

 高さ約20mの櫓は明治41年の竣工であり、イギリス製の鋼材が使用されている。巨大な滑車が目を引くが、柱を構成するトラス構造が見事と言わざるを得ない。こんな構造物が明治日本にあったのか… と驚かされた。

なお、今は土台しか残っていない第一竪坑櫓はさらに巨大で、高さ約30mだったという。蛇足ながら、第一竪坑の坑口は今も埋め立てられておらず、地下270mまで穴がぽっかり空いているという。地下50m程度のところまで地下水の水位が上がってきているようだが、ぜひ坑口を覗き込んでみたいものだ。(現在の見学コースには含まれておらず、近づけなかった)

 

f:id:beluga600st:20170305204338j:plain

第二竪坑櫓に隣接するレンガ造りの建物。「二坑口」の矢印があるところを見ると、炭鉱マンたちはここを通って坑口に入っていったのだろう。

 

f:id:beluga600st:20170305204349j:plain

浴場が覗き込めた。炭鉱マンたちは仕事を終えて地下から上がってくると、真っ黒な作業服のまま最初の浴槽へドブンと入る。そこであらかたの汚れを落とし、作業服を脱いで次の浴槽へ。体まできれいになったところで最後の浴槽へ入り体を温めたという。とても効率的なシステムだな…と感心する。

 

f:id:beluga600st:20170305204405j:plain

第二坑口は土砂で埋められている。この坑口がかつては地下270mまで続いており、人や物資を乗せた2台のケージが上下していた。ケージは25人乗り。つるべ式の井戸のように、1台が地上にいるときはもう一台が坑内にいるという仕組みである。270mの高さをわずか1分で昇降したというから、スカイツリーのエレベーターも真っ青である。

土砂で埋められる前は、三井鉱山(現在の日本コークス工業)の社員が定期的に坑口を訪れ、地下水位の測定やガスの測定を行っていたという。

 

f:id:beluga600st:20170305204425j:plain

左手の小屋は信号所であり、巻揚機室の運転員や坑内の係員と鐘や電話で連絡を取り合い、ケージの昇降を行っていたという。鐘の音は、270mの地下までよく聞こえたとのこと。

 

f:id:beluga600st:20170305204455j:plain

坑口の屋根部分は今でこそぽっかりと穴が空いているが、現役のころはケーブルの貫通部以外はしっかりと閉じられていた。第二竪坑は排気口でもあるため、坑口は気密性を確保する必要があった。(第一竪坑→坑内→第二竪坑→排気扇風機という空気の流れを作るためには、ここが坑内よりも負圧となる必要がある)

 

f:id:beluga600st:20170305204451j:plain

石炭を乗せたトロッコも、坑口から二重扉があるトンネルを経て、外に運び出された。

 

f:id:beluga600st:20170305204620j:plain

巻揚機室にある巨大な巻揚機はまさに世界遺産、という重厚さを感じさせるものだった。人員昇降用の巻揚機の巻胴は直径3.96m、回転数は21.5rpm。電動機やブレーキ、ギヤ部などで構成されている。ワイヤー径は36mmとかなり太い。

 

f:id:beluga600st:20170305204801j:plain

深度計と速度計。監視計器は運転台から見やすい位置に設置されていた。

 

f:id:beluga600st:20170305204814j:plain

f:id:beluga600st:20170305204826j:plain

 こちらは重量物昇降用のウインチで、直径1.82 m、ワイヤー径は45mm。巨大な歯車がハイパワーであることを連想させる。

 

f:id:beluga600st:20170305232558j:plain

蒸気駆動のウインチ、ジャック・エンジン。名前もサイズもかわいらしい。

 

f:id:beluga600st:20170305204233j:plain

 最後に変電所跡を見学。植物が巻き付いて終末感が漂っている。観光資源として他の施設のように整備されてもいいように思うが(一般の観光客は変電所に興味がないのかもしれない)、個人的にはこの雰囲気を残してほしいと思う。